「明日暇?」とかいう質問を投げる奴は、とりあえず人生を悔い改めて欲しい。

人類史上、最も難解とされる問いはなんだろうか。




神は存在するのか。時間はなぜ一方向にしか進まないのか。宇宙の外側はどうなっているのか。生きる意味とは何か。古来より多くの賢人の頭悩ませてきたこれらの問いはしかし、今日に至るまで画一的な答えは示されていない。




いずれも我々にとって根源的な問いではあるが、極論これらは解決されなくとも、我々は今まで通りの生活を変わらず営むことが可能だ。しかし、この問いは違う。これは我々の住む世界への侵略者であり、破壊者でもあり、良心に対する冒涜者でもある。







「明日、暇?」







我々の健康で文化的な最低限度の生活を脅かすこの文言。




我々は一体これにどう答えるべきなのだろうか。





まず前提として、人を誘う際、OKを貰いたくて誘うはずだ。それは分かる。
次にその誘い方。要件を伝え、その上で日時を提示する。順序の逆はあれ、概ねこんな感じではなかろうか。


もし要件が気に入らなければそれでよし、日時に都合が付かなければ調整すればよし。多くの者は、そうやって「約束」を構築していくのではないか。お互いの同意の下で成り立つのが約束だ。




それが、






「明日暇?」





お分かりいただけただろうか。




約束はお互いの同意のもと成立する。その前提を一撃で破壊してくる。
同意はお互いが話し合って形成される。そんな期待をワンパンで蹂躙される。




「明日暇?」が孕む暴力性はそこにある。我々が培ってきた価値観を、何の躊躇もなくズタズタにしてくる。何の用件なのか知りたい、そんな我々の意思を有無を言わさず圧殺してくる。




先に逃げ場を塞ぐ。この悪辣外道なやり方は、対話を望む人間のやり方ではない。先に、用件が、知りたい。そんな我々の切実で、そして健気な願いは、全てを捩じ伏せる圧倒的な暴力によって踏み潰される。



暇なら絶対来てくれると勝手に決めつける傲慢さ。相手の意見を伺うことを放棄する怠惰さ。自分の誘いを何がなんでも通そうとする強欲さ。
この暴虐のワードは、あろうことか7つの大罪のうちの3要素も兼ね備えている。
スターターデッキかな?
カードゲームを新しく始める人へ向けた、スターターパックか何かかな?





顔も見えないまま和歌でやり取りをしていた平安貴族を思い浮かべてほしい。愛しい者を思い浮かべて歌を詠む男。それを受け取った女が歌を詠み返す。そんな風景だ。




ここでもし、





「明日、暇?」





などとどちらかが送ってみたらどうなるだろうか。




破局で済むだろうか。下手したら内乱が起こるのではないだろうか。もしかしたら日本史の教科書は、現在のものより1ページ厚くなっているのかもしれない。





これが首脳会談であったらどうだろうか。2つの大国を引っ張る、2人の指導者。例えば、両者が会談の場を設けようとしたら、「会談をしたい」と先に用件を述べてから、日程を調整するのではないだろうか。当然、両者とも多忙なスケジュールを持つ身である。しかし、なるほど会談ならば仕方ない、とスケジュールの調整を始めるはずだ。





だが、ここでもし






「明日、暇?」





などと片方が宣ったらどうなるだろうか。






核戦争で済むだろうか。この暴力的なメッセージを受け取った側は、間違いなく宣戦布告と解釈する。


サラエボで放たれた2発の銃弾はヨーロッパ全土を巻き込む大戦にまで発展したのだ。であるならば、「明日暇?」の暴力性を過小評価するのは余りにも軽率ではないだろうか。この暴力的なメッセージが生み出す更なる暴力から目を背けてはならない。我々は今、岐路に立たされている。




次の世代を担う者たちには、平和とは何かをよく考えてほしい。その先に見えてくるものが、きっとあるはずだ。